その起源は350年以上前。みなかみ町・月夜野で受け継がれる、「月夜野神社祇園祭」。右も左も分からないからこそ、飛び込んでみた!地域おこし協力隊体験実録ルポ

毎年夏になると、月夜野の町に神輿や山車が出て、祭囃子の音が聞こえてきます。
「月夜野神社祇園祭」です。
全国から大勢の観光客が集まるような観光祭とは少し違い、地域の人たちが神輿を担ぎ、子供たちが太鼓を叩き、多くの地域住民がそれぞれの役割を担いながら受け継いできた、昔ながらのお祭りです。
私は昨年、みなかみ町の月夜野地区に引っ越してきました。
昨年は家族で祇園祭に参加する側でしたが、移住2年目となる今年は実行委員を務めることになり、実行委員会の中では「書記」という役も担当しました。
運営する側に入ってみると、それまで知らなかった祭りの歴史や、本番を迎えるまでの準備、地域のさまざまな方の関わりが見えてきました。
今回は、そんな月夜野神社祇園祭について、実際に運営に関わって感じたことも交えながら紹介します。
その起源は350年以上前。月夜野祇園祭の歴史

今年、実行委員として過去の資料を見る中で、まず驚いたのが祇園祭の歴史です。
月夜野神社祇園祭の起源は、今から350年以上前、江戸時代まで遡るとされています。
残されている資料には、真田伊賀守が幼少の頃、「平吉」と呼ばれ、上組の小川城に部屋住みをしていたことが記されています。その後、寛文12年(1672年)頃、真田伊賀守は市神様として天王様を建立し、月夜野を「新町」と称して市場を設けました。そして、この市神様の祭りが、現在の月夜野祇園祭の起源とされています。今では毎年夏に行われている地域のお祭りですが、その始まりをたどると、350年以上前の月夜野のまちづくりや、真田氏の歴史にもつながっていることが分かります。
さらに文化2年(1805年)頃には、町組の神輿がすでに古くなり、その年に新調されたという記録も残っています。1805年に初めて神輿が造られたのではなく、その時点ですでに古くなった神輿を造り替えていたということです。つまり、祭りの起源は1672年頃。そして少なくとも1805年頃には、町の人たちが神輿を担ぐ祭りの文化がすでに根付いていたことが分かります。
祭りの舞台となる月夜野神社そのものにも長い歴史があります。
現在の月夜野神社本殿は、寛政4年(1792年)の建築です。軒裏に彫刻を施した社殿として、建築年代が明らかなものでは群馬県内でも特に古い建築で、2025年には群馬県指定重要文化財に指定されました。
今から230年以上前に建てられた本殿と、350年以上前まで遡る祭りの起源。
普段暮らしている町の中に、こうした歴史が今も残っているというのは、改めて考えるとなかなかすごいことです。
一方で、これだけ長い歴史があるからといって、ずっと同じ形で続いてきたわけではありません。
残された資料を見ると、神輿を新調したり、明治時代には祭礼の日程を改めたり、神輿庫を建設したりと、その時代に合わせて祭りの形も少しずつ変化してきたことが分かります。
江戸から明治、大正、昭和、平成、そして令和へ。社会や暮らしが大きく変わる中でも、その時々の地域の人たちによって受け継がれてきたお祭りです。
近年では、新型コロナウイルスの流行によって地域の行事を開催することが難しい時期が続き、月夜野神社祇園祭も一時開催が途絶えました。その後、地域の方々がもう一度準備を進め、2024年に5年ぶりとなる祇園祭が復活しました。令和7年度の実行委員が残した総括にも、「5年ぶりの再開2年目」と記されており、前年の課題を踏まえながら祭りを実施し、神事を含めた段取りを次年度へ共有していく様子が記されています。
コロナ禍をきっかけに、そのまま無くなってしまった地域のお祭りや行事もあります。
そんな中で月夜野神社祇園祭は、地域の方々が再び集まり、準備を重ねることで復活しました。
350年以上前に始まった祭りが、さまざまな時代の変化を経ながら現在まで受け継がれ、今の人たちからまた次の世代へとつながっていく。そういうところも、このお祭りの歴史の一部なのだと思います。
2026年の月夜野神社祇園祭

2026年は、7月24日に前夜祭、翌25日に祇園祭の本祭が行われました。
本祭では、月夜野神社での神事に加え、神社神輿や山車、子供神輿などが町に出ます。
当日はまず、月夜野神社で神輿に神様の御霊をお迎えする「御霊移し」が行われ、その後、神社で恒例祭が執り行われます。
午後になると神社神輿が町内へ出発。2026年は車両による渡御で月夜野の町組区各地を巡りました。
そして夕方になると、山車や子供神輿なども町内へ出ます。
普段、地域の人たちが生活している道を神輿や山車が進み、20時頃にはサンモール駐車場に集まって「共演」が行われます。
それぞれ町を巡っていた山車や神輿が一堂に集まる、本祭の見どころの一つです。
その後、神社神輿は月夜野神社へ戻り、最後に神様の御霊をお返しする「御霊還し」が行われ、一日の祭りが締めくくられます。この「御霊還し」は、暗い夜の月夜野神社で厳かに行われます。参加者は運営関係者と最後まで神輿を担いでいた一部の奉仕者のみ、静かな境内の中で、これまで経験したことのないような神聖な空気を感じる、私にとってとても印象深い時間でした。
こうして一日の流れを見てみると、単に神輿や山車が町を巡るだけではなく、神社から始まり、町を巡り、最後にまた神社へ戻るお祭りであることが分かります。
沿道で見ている人も、祭りに参加している人も、知っている顔が多い。月夜野神社祇園祭には、「町の暮らしの中で行われるお祭り」ならではの距離の近さがあります。
そして、祇園祭は本番の一日だけで成り立っているわけではありません。
特に印象的なのが、祭囃子の練習です。本番の2〜3週間ほど前になると、子供たちは夕方からほぼ毎日、祭囃子の練習を行います。私の娘2人も参加しています。
18時頃から練習が始まり、小さい子供たちは少し早めに帰りますが、大きな子供たちは20時30分頃まで。祭囃子保存会の皆さんに教えてもらいながら、繰り返し太鼓を練習します。
私自身、最初はこれほど長い期間、毎日のように練習するとは知りませんでした。
本番で子供たちが太鼓を叩く姿を見ると、その背景に何週間もの練習があることが分かります。
祭りが近づくにつれて、夕方になると町の中から祭囃子が聞こえてくる。
当日だけではなく、少しずつ町がお祭りの時期になっていく時間も含めて、月夜野の夏の風景の一つになっています。
お祭りを支えている地域の人たち

実行委員になって初めて知ったことの一つが、お祭りに関わっている人の多さでした。
「地域のお祭り」と一言で言っても、一つの団体だけですべてを運営しているわけではありません。
全体の運営を担う実行委員。神輿の運営を担当する壮健。万灯や子供神輿などを担当する世話人。お囃子を担う祭囃子保存会。神事に関わる氏子総代。子供神輿などに関わる子供育成会。
そのほか、交通整理を担当する方々や、前夜祭を運営する地域の有志の会の方々など、多くの人が関わっています。
祭りを見る側にいると、どうしても神輿や山車、祭囃子などに目が向きます。
しかし実際には、その周囲で交通整理をする人、子供たちに付き添う人、神事を準備する人、子供たちに太鼓を教える人など、それぞれの役割があります。
そして、そのさらに前から、会議や各種申請、交通規制、駐車場、道具の準備など、細かな仕事が積み重なっています。
前年の担当者が残した総括を見ても、渡御のルートや休憩場所、交通規制、駐車場、照明、祭りで使う道具など、次年度へ向けた細かな検討事項が数多く残されています。
その一つ一つを確認し、改善しながら、また次の年へつないでいきます。
一見すると素朴な地域のお祭りですが、実際に運営側に入ってみると、その裏では本当に多くの人が動いていることが分かりました。
移住2年目、私にも実行委員の順番が回ってきました
ここから少し、私自身の話です。
私が住んでいる地域は「区」という単位で区切られていて、その中に複数の「組」があります。
祇園祭の実行委員は、それぞれの「組」から交代で担当者を選ぶ仕組みになっています。
そして今年、その順番が私に回ってきました。
祇園祭への参加自体は、前年にも経験していました。
昨年、引っ越してきたばかりの時にも、私と息子は神輿を担ぎ、娘2人は祭囃子の太鼓を叩かせてもらいました。
そのため、まったく知らないお祭りではありませんでした。
ただ、「参加する側」と「運営する側」はやはり別です。
実行委員と言われても、最初は何をするのかよく分かりませんでした。
どんな準備が必要なのか。
いつから動き始めるのか。
誰が何を担当するのか。
前年までの流れも分からないので、ほとんど何も知らない状態からのスタートでした。
自分にできることから。書記として参加することに
4月に最初の実行委員会が行われ、そこでその年の実行委員長、副実行委員長、会計、書記などの役員を決めます。
それぞれ立候補者を募りますが、すぐに希望者が決まるわけではありません。
書記を決める際に、「パソコンができれば大丈夫だよ」と声を掛けてもらいました。
私は普段の仕事でもパソコンを使っています。地域のことはまだ分からなくても、パソコンを使う部分であれば少しは役に立てるかもしれない。
そう考えて、書記に立候補しました。
こうして移住2年目で、祇園祭実行委員会の書記を担当することになりました。
ただ、実際に始まってみると、「パソコンができれば大丈夫」というほど単純ではありませんでした。
運営側に入って見えてきた、お祭りの舞台裏
書記というと、最初は会議資料や議事録を作成する仕事を想像していましたが、実際には、それ以外にもさまざまな仕事があります。
会議資料やポスターの作成、役場や警察署、消防署などへの申請資料の作成、関係する方々への確認や連絡などです。年度の事業計画を見ると、4月の第1回実行委員会から準備が始まり、警察官や交通指導員の派遣申請、車両や備品などの借用、補助金申請、道路使用許可、屋外広告物の届出、招待者への案内など、本番までに多くの作業があります。
7月の本番は一日ですが、準備は何か月も前から始まっています。そして私の場合、書類を作ること以上に難しかったのが、書類を作るために必要な情報を集めることでした。
「これは誰に確認すればいいんだろう」
「前年はどうしていたんだろう」
「次は何を準備すればいいんだろう」
昨年引っ越してきた私には、前年までの流れが分かりません。
まさに、「わからないことがわからない」という状態でした。
最初は少し不安もありましたが、その都度、実行委員長や以前書記を担当した方などに聞きながら進めていきました。聞けば皆さん嫌な顔ひとつせず、丁寧に教えてくれます。
一つ分かると、次にやることが見えてくる。
また分からないことが出てきたら、もう一度聞く。
そんなことを繰り返しながら、少しずつ準備を進めていきました。
そして、実際に一緒に活動してみて印象に残ったのが、実行委員長をはじめ、関係する皆さんが本当に精力的に動いていたことです。私自身は分からないことばかりでしたが、周りの方々が次々と準備を進めている姿を見ていると、「自分もやれることをやろう」という気持ちになりました。
振り返ってみると、皆さんに教えてもらったことに加えて、そうした周囲の熱量に背中を押されながら動くことができたのだと思います。
初めは何をするのかも分からなかった実行委員でしたが、終わってみると、祭りのことを以前よりずっと知ることができました。
それだけではなく、準備を通して地域の方と話す機会も増えました。
昨年より知っている人が増え、町の中で会った時に挨拶をする人も増えました。
移住してきたばかりの頃には、地域のお祭りにここまで関わることになるとは思っていませんでした。
大変なこともありましたが、今振り返ると、思い切って書記に手を挙げてみて良かったと思っています。
家族にとっても、夏の行事の一つに

今年の祇園祭では、私は実行委員会の書記、妻は育成会のお手伝い、息子は神輿、娘2人は祭囃子と、家族それぞれが違う形で祭りに参加しました。
家族で参加するのは、今年が初めてではありません。
昨年、引っ越してきたばかりの時にも、私と息子は神輿を担ぎ、娘たちは祭囃子に参加しました。
今年で2回目になりますが、祇園祭はすでに我が家にとって夏の予定の一つになりつつあります。
特に子供たちは、祭り当日だけではなく、その前の祭囃子の練習を通して、地域の子供たちや大人たちとも関わっています。
移住する前には、地域のお祭りがこういう形で普段の暮らしにつながっていることまでは想像していませんでした。
月夜野神社祇園祭に参加して

月夜野神社祇園祭は、その起源を350年以上前まで遡ることができる、歴史ある地域のお祭りです。
現在も、月夜野神社での神事をはじめ、神社神輿、山車、子供神輿、祭囃子など、昔から受け継がれてきたさまざまな行事が行われています。
また、祭り当日だけではなく、その何週間も前から祭囃子の練習が始まり、実行委員会をはじめとする各団体も会議や準備を重ねます。近年では、新型コロナウイルスの流行期を経て一時開催が途絶えましたが、2024年に5年ぶりに復活。その後も、前年の経験や課題を次の年へ引き継ぎながら開催されています。
今年、実際に運営する側に入ってみて、祇園祭は本番の一日だけではなく、そこに至るまでの準備も含めて、多くの地域の方が関わっているお祭りなのだと知りました。
私自身、分からないことばかりからのスタートでしたが、実行委員長や以前書記を担当した方などに教えてもらいながら進めることができました。その過程で、昨年より地域の方と話す機会も増え、町の中で挨拶をする方も増えました。
家族でも、昨年に続いて今年もそれぞれの形で祇園祭に参加しました。引っ越してきてまだ2年目ですが、祇園祭はすでに我が家にとって夏の行事の一つになりつつあります。
実行委員の任期は2年なので、来年もまた祭りの運営に関わる予定です。
今年経験したことを生かしながら、来年も皆さんと一緒に祇園祭を楽しめればと思っています。
興味のある方は、ぜひ月夜野の夏のお祭りを一緒に楽しんでみてはいかがでしょうか。
町外にお住まいの方でも、神輿などに参加できます。参加してみたい方は、ぜひお声がけください。
来年の夏も、町の中から祭囃子の音が聞こえてくるのを楽しみにしています。



